2025年1月16日
偽物の寿司を作った日本人たち Part 2:Nikkei料理、そして本物とは何か
前回、カリフォルニアロールが日本人の職人によって発明されたことを見た。彼らはアメリカで手に入る食材を使い、現地の人々の好みに合わせながら、寿司の本質を届けようとした。
これは孤立した例外ではない。地球の反対側、ペルーでも同じことが起きていた。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、多くの日本人がペルーに渡った。最初は砂糖キビ農園の契約労働者として。過酷な環境の中で契約を終えた彼らは、リマなどの都市に移り住み、自分たちの知識で生計を立て始めた。その一つが、料理だった。
ペルーには「セビーチェ」という国民的料理がある。生の魚をライムでマリネしたものだ。伝統的な作り方では、魚を何時間も、時には一晩中ライムに漬け込んでいた。酸で「調理」するという発想だ。
日本人移民たちは、これを見て違和感を覚えたはずだ。魚は新鮮なうちに食べるものだ。何時間も漬け込んだら、食感が失われてしまう。
彼らは、提供する直前にライムをかけるだけ、という方法を導入した。刺身の感覚だ。魚本来の味と食感を活かしながら、ペルー人が好む酸味を加える。この変化が、現代のセビーチェの原型となった。
さらに、刺身とセビーチェを融合させた「ティラディート」という料理が生まれた。薄く切った生魚に、アヒ・アマリージョという唐辛子とライムのソースをかける。刺身より味が強く、セビーチェより軽い。日本でもペルーでもない、新しい料理だ。
1970年代、24歳の日本人寿司職人がリマに渡った。松久信幸だ。彼は現地で手に入る食材だけで寿司を作ることを強いられた。その即興から生まれたスタイルは後に「Nobuスタイル」と呼ばれ、彼は世界中にレストラン帝国を築くことになる。松久は後にカリフォルニアロールについてこう語っている。「料理の世界における創造性と適応性を反映している。異なる文化の食材を組み合わせて、新しく刺激的なものを生み出せることを教えてくれた」。
彼らペルーの日系人たちは、「偽物」を作ろうとしていたのではない。故郷の技術と味覚を、新しい土地で活かそうとしていた。その結果生まれたNikkei料理は、今やペルーの誇りであり、世界のファインダイニングシーンを席巻している。
ここで、一つの疑問が浮かぶ。
もし「本物の日本食」を「現在の日本国内で提供されている形式」と定義するなら、カリフォルニアロールもティラディートも、確かに「本物」ではない。しかし、その定義自体に問題はないだろうか。
江戸前寿司を考えてみよう。今でこそ寿司の代名詞だが、握り寿司が登場したのは19世紀初頭、江戸時代後期のことだ。それ以前の寿司は「なれ寿司」や「押し寿司」だった。魚を発酵させたり、型に押し込んで作るものだった。
握り寿司を発明した華屋與兵衛は、当時の基準で言えば革新者だった。いや、もしかすると「邪道」と呼ばれたかもしれない。新鮮な魚を酢飯の上に乗せて、その場で握って出す。ファストフードのような手軽さ。伝統的な寿司とはまったく違うものだった。
しかし今、誰も握り寿司を「偽物」とは呼ばない。時間が経ち、文化の一部として定着したからだ。
寿司の歴史は、なれ寿司から押し寿司へ、押し寿司から握り寿司へ、常に変化してきた。その変化を担ったのは、その時代の職人たちだ。彼らは伝統を受け継ぎながら、新しい環境や新しい客のために、形を変えてきた。ロサンゼルスの加藤一郎も、バンクーバーの東條秀和も、リマの松久信幸も、その系譜の上にいる。
「本物」とは何か。
同じ材料を使い、同じレシピに従えば、誰でも「本物」を作れるのか。YouTubeで見様見真似で握った寿司は「本物」なのか。
違う、と私は思う。
本物とは、形式の問題ではない。文化を受け継ぎ、その本質を理解し、新しい土地や新しい時代で生かそうとする意志のことだ。加藤がアボカドの中にトロを見出したとき、そこには何十年もの修業で培われた味覚があった。ペルーの日系人がセビーチェの漬け込み時間を短くしたとき、そこには刺身を愛する文化の記憶があった。
レシピは複製できる。しかし、文化の糸を紡ぐことは複製できない。
カリフォルニアロールは、日本人が異国の地で紡いだ文化の糸だ。それを「偽物」と呼ぶなら、私たちは「本物」という言葉の意味を、あまりにも狭く捉えているのかもしれない。